長岡まつり大花火大会で打ち上がる「白菊」の意外と知らない深い歴史
花火系散歩屋のおーわ(@mof_mof08)です。
日本三大花火大会の一つとして知られる長岡まつり大花火大会では、プログラムの冒頭にて「白菊」(現在は「慰霊と平和への祈り」10号3発という名称)という白一色の花火が打ち上げられます。
長岡大空襲における戦没者に対する慰霊と平和への祈りを目的に打ち上げられるこの花火ですが、誕生した背景は意外で深い経緯があったりします。
本記事では長岡まつり大花火大会で打ち上がる「白菊」が誕生した背景や歴史について、ざっくりと紹介してまいります。
「白菊」が誕生したきっかけ
意外なことかもしれませんが、「白菊」は伝説の花火師・嘉瀬誠次さんがシベリア抑留中に亡くなってしまった仲間に捧げる鎮魂の花火として誕生しました。
「白菊」が誕生するきっかけとなったのは、1989年に愛知・名古屋で行われた「世界デザイン会議ICSID’89名古屋」まで遡ります。
そこで行われたセッションに参加した嘉瀬さんが「次はどこで上げたいですか?」と司会者から問われた際、次のように答えたそうです。
シベリア、アムール川で花火を上げたい。おらは、戦後、シベリアに抑留されていたんです。おらは生きて帰って来られたけど、帰って来られなかった仲間のために、鎮魂の花火を上げたいと思います。
(引用:白菊-shiragiku- 伝説の花火師・嘉瀬誠次が捧げた鎮魂の花 p.121)
この嘉瀬さんの想いがきっかけとなり、紆余曲折を経て1990年7月14日にロシア・シベリアで開催されたアムール川花火大会にて3発の「白菊」打ち上げられることになりました。
長岡まつり大花火大会における「白菊」の歴史
アムール川花火大会での打ち上げから13年後の2002年、長岡まつり大花火大会においても「白菊」の打ち上げが行われることになりました。
太平洋戦争を経て長岡復興祭(1951年からは長岡まつり大花火大会)として花火の打ち上げが復活して以降、長岡大空襲における戦没者の慰霊を目的として開催されてきました。
しかしながら、時が経つにつれて全国から人が集まるようになり、戦没者の遺族から「慰霊という原点を忘れているのでは?」と長岡まつり大花火大会の開催意義が薄れてきていると感じる方が多くなっていきました。
そのような背景があり、2002年に長岡市民から「慰霊の花火としての原点に立ち返ろう」という声が上がります。
そんな市民からの声をもとに実行委員会から相談を持ちかけられた嘉瀬さんは、以下のように答えました。
それなら、『白菊』がいいや。うん、『白菊』しかねえな。『白菊』ら
(引用:白菊-shiragiku- 伝説の花火師・嘉瀬誠次が捧げた鎮魂の花 p.230)
そして、2002年8月1日に3発の「白菊」が打ち上げられることになりました。
以降、「白菊」は長岡まつり大花火大会においてなくてはならない存在となりました。
長岡から各地へ!「白菊」の現在
2002年の打ち上げ以降、長岡まつり大花火大会においてなくてはならない存在となった「白菊」ですが、長岡以外の地においても継続的に打ち上げが行われています。
僕が把握しているものとしては、以下の通りとなります。
2011.12.8 | 映画「聯合艦隊司令長官 山本五十六」公開記念 |
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2012.3.4 | ホノルルフェスティバル 世界に届け、平和への祈り – ホノルルの空に咲く長岡花火 – |
2012.12.8 | 長岡市民有志による打ち上げ |
2015.3.8 | ホノルルフェスティバル 長岡花火2015 |
2016.3.13 | ホノルルフェスティバル 長岡花火2016 |
2017.3.12 | ホノルルフェスティバル 長岡花火2017 |
2018.3 | ホノルルフェスティバル 長岡花火2018 |
2019.3.10 | ホノルルフェスティバル 長岡花火2019 |
2021.3.11 | 東日本大震災の犠牲者を追悼する花火(岩手県釜石市) |
「白菊」という花火は日本ならびに世界における慰霊と平和を祈念するにとどまらず、その架け橋としてなくてはならない存在となっているのです。
まとめ
長岡まつり大花火大会のプログラム冒頭で打ち上げられる「白菊」という花火。
伝説の花火師・嘉瀬誠次さんがシベリア抑留の際に亡くなった仲間へ捧げる鎮魂の花火として製作され、現在においても慰霊と平和を祈念するための花火として継続的に打ち上げられています。
側から見るとたった数発の単打ち花火かもしれませんが、実はとても深い意味を持つ花火なんだなということを頭の片隅に置いといていただければ幸いです。
最後までご覧いただき、ありがとうございますm(__)m